オモシロきコトも無き世をオモシロく

人生をオモシロおかしく

思い出横丁のせまーいトイレで外国人に道を譲った時、「Sorry」に返すベストアンサーはコレだっ!!

久しぶりに新宿。
いつもながら外国人の多さにビックリしますねぇ。

2020年のオリンピックを考えると、英会話の少しくらいは話したいと考える大衆心理も腑に落ちます。最近はラジオから流れる英語教材のCMが耳にこびりつくレベルですから、その需要の高さがうかがえます。

しかし、ちょっと考えませんか?

外国人観光客と日本の一般市民が会話するための英会話って、目的が安くないですかね??ほとんどのCMはそんなシチュエーションのRPGになってますよ。

極端かもしれませんが、仕事やご商売において必要なスキルであればよいのですが、あのCMのシチュエーションには辟易してしまいます。

 

「駅で困っている旅行者が……」

「こう言ってあげましょう……」

 

私のようにひねくれた性格だと、情操教育に対しても否定的で。幼稚園や小学校のうちから英語教育を義務化することに対して、大きな大きな疑問符を持っています。

幼少期に英語詰め込んで、ど~すんの??

大きくなって使うためのスキルを今詰め込むの??

言語習得能力が高い時期に、「英語」ですか??

そこは、「日本語」で良くないですか??

モチロン生活環境によっては、日本語と英語の併用が必要なご家庭では全否定しませんが、日本の父ちゃんと日本の母ちゃんの子どもが、日本の学校において、幼少期から英語が必要だとは、全く思わない。むしろ邪魔。俺ならグレる。

脳や体の発達に関しては言及するような知識はないのだが、人間って植物と対比するとオモシロい。

人間の幼少期は植物で言うところの、根を張っている時期にあたると仮定する。
三つ子の魂百までとは良くいたったもので、体幹や味覚はもちろんのこと感性の成長に大きな影響を与える時期だと思う。この時期に経験したことや感じたことは、一生のベースとなる。

では、

そのベースを造る時期に、何を経験するのか?

将来の国力足るために早期英語教育で、世界と渡り合うグローバルな人材教育を受け入れるのか。

い~んですよ。

子ども発信で、英語を勉強したい! 学びたいっ! って言うのなら。

でもね。
そこには国際情勢やら、国家の教育指針やら、親のエゴやら……。
そう言うモノは排除したい。

 

と、

 

ま~。
正直、子どもなんてのは好きなようにやるし、好きなようにやらせる以外ないと持っているし、俺もそのようにやってきた口だから、子どもにもそうあって欲しい。

 

で、

 

【思い出横丁のせまーいトイレで外国人に道を譲った時、「Sorry」に返すベストアンサーは】

 

「あ~。なっても~」

(いいえ~。ど~いたしまして~)

 

秋田弁全開で、謝辞を入れてあげました。

 

地方創生や、うんたらクンタラいう前に、よほどのカルマが無いのなら故郷を全開に売り出してみたらどうだろうか?

 

英語を習う前にね……。

 

 

ちなみに、若きオーストラリアン的な男性はキョトンとしながらも目は輝いておりました。

文化交流はこんなもんでイイのだ。

 

おしまい